2026年9月20日から23日まで、北陸から山陰、中国地方をぐるりと回る鉄道旅に出た。
もともとの目的は、未乗だった路線をまとめて乗ることだった。
いわゆる「乗りつぶし」である。
鉄道の路線図を見ながら、「ここはまだ乗っていない」「この区間とこの区間をつなげれば効率がいい」と考えて旅程を組む。
やっていることだけ見れば、スタンプラリーに近いかもしれない。
でも、実際に旅に出ると、当然ながら路線図どおりにはいかない。
今回の4日間も、最後に残ったのは「何線に乗ったか」だけではなかった。
新幹線をすべて乗った日
旅の初日は、新潟県三条市の北三条駅から始まった。

東三条から特急「しらゆき」に乗り、上越妙高で北陸新幹線に乗り換える。
金沢から先、敦賀までは自分にとって未乗区間だった。
そして、この区間に乗れば北陸新幹線を全区間乗車、つまり「完乗」になる。
さらに言えば、これで全国の新幹線をすべて乗ったことになる。
金沢から「つるぎ」に乗る。
福井を通り、敦賀へ。
車内では、もちろん何か特別なことが起きるわけではない。
周りの乗客にとっては、いつもの移動だ。
それでも自分の中では、
「これで新幹線、全部乗ったんだな」
という小さな達成感があった。
派手ではない。
でも、こういう節目はあとからじわじわ効いてくる。


自分と同じ名字の駅へ
敦賀からは小浜線に乗った。
途中で降りたのが「藤井駅」。
理由は単純で、自分と同じ名字だからだ。
列車を降りたのは自分一人だった。
ホームで「藤井」と書かれた駅名標を眺める。
それだけなのに、妙にうれしい。
有名観光地でもない。
名物駅でもない。
でも、自分にとっては行く意味がある。
旅は、こういうどうでもいい理由で寄り道できるのが面白い。

その後は東舞鶴、福知山、谷川、西脇市、加古川を経て姫路へ。
新幹線からローカル線へ。
125系、103系、223系と車両が次々に変わる。
路線ごとに乗客の雰囲気も変わる。
こういう乗り換えの連続が、自分にとっては旅らしい時間なのだと思う。

姫路城は、攻める側の気持ちで見る
2日目の朝は姫路城へ行った。
白い天守は、遠くから見ても圧倒的だった。

観光客も多く、さすが世界遺産だと思う。
ただ、自分が気になったのは建物そのものよりも、
「ここ、どうやって攻めるんだろう」
ということだった。
門を抜けても、すぐに天守へはたどり着けない。
通路は曲がり、方向感覚を狂わせる。
途中には狭い場所もある。
なるほど。
これは攻める側からしたら相当イヤだ。
城は「きれいだな」と見るだけではなく、守る側と攻める側の両方の気持ちで見ると面白い。
もっとも、このあと列車に乗らなければならないので、時間切れで途中離脱した。
鉄道旅では、観光もダイヤに支配される。
山陰を一本の線でつないでいく
姫路からは「スーパーはくと」で鳥取へ向かった。

上郡から智頭急行線へ入る。
気動車なのに速い。
山の中を、トンネルを抜けながらかなりの速度で走る。
乗っていて思い出したのは、新潟と北陸を結ぶ北越急行ほくほく線だった。
地方路線というより、「都市と都市を速くつなぐための鉄道」という雰囲気が似ている。

鳥取からは「スーパーおき」に乗る。
ここから一気に山陰本線を西へ進んだ。
倉吉。
米子。
松江。
出雲市。
浜田。
益田。
地図で見ると点でしかない街が、列車に乗ると一本の線につながる。
松江の街並みを見ながら、
「長岡と同じくらいか、いや少し小さいかな」
と考えた。
出雲市では乗り降りが多い。
平地の広がり方を見れば、
「加茂っぽいな」
「村上に近い感じもする」
と、どうしても新潟の街と比べてしまう。
知らない土地を、自分の知っている場所を使って理解しようとしているのだろう。
そういう比較も、旅の面白さの一つだと思う。

30年以上前に来た場所
益田から山口線へ入ると、風景が一気に変わった。
それまでの海沿いから、山の中へ。
津和野に着いたとき、昔の記憶がよみがえった。
子どもの頃、家族でSLやまぐち号に乗った。
30年以上前のことだ。
そのときの記憶は断片的にしか残っていない。
それでも、
「ここ、来たことがある」
という感覚は不思議なものだ。
鉄道に長く乗っていると、線路が昔の自分と今の自分をつないでくれることがある。
新しい路線を乗りつぶしているつもりが、突然、自分の過去に出会う。

芸備線で見たもの
3日目は、新山口から徳山へ。
そこから岩徳線に乗った。
キハ40の単行列車が、山間をゆっくり走る。
前日に乗った高速気動車とはまるで違う。
でも、これはこれでいい。
「単行列車が山間をトコトコ抜けていく。いい路線だ」
そんなメモを残している。

岩国から広島へ移動し、そこから芸備線へ。
広島から三次までは、まだ都市近郊路線らしさがある。
三次から先になると、雰囲気が急に変わる。
キハ120の単行列車。
速度は遅い。
人家も減る。
最初は、
「只見線の方が秘境だな」
と思った。
でも、備後庄原を過ぎる頃には考えが変わった。
「いや、これはなかなかだ」
山の中を、細い線路がひたすら続く。
そして、
「今のうちに来ておいて正解だろう」
とも思った。

備後落合駅では、地元の人たちが物販をしていた。
手ぬぐいや缶バッジを買った。

さらに備後落合から新見へ向かう途中、内名駅付近では手製の応援旗を振る人の姿が見えた。
乗りつぶしの記録なら、
「備後落合―新見に乗車」
で終わる。
でも、実際に乗ってみると、その線路を残そうとしている人たちがいる。
それは路線図を眺めているだけでは分からない。
この旅で一番印象に残った場面の一つだった。
予定どおりにいかなくなった
新見で芸備線を完乗した。
そこから新型の273系「やくも」に乗って岡山へ向かう。
ここまでは順調だった。

問題は岡山。
指定席を取っていた「のぞみ104号」へ乗り継ぐ予定だった。
しかも、新見駅で駅員さんに乗換位置まで確認していた。
準備はしていた。
それでも、「やくも」の到着が遅れた。
間に合わない。
後続の「のぞみ」も満席だった。
さて、どうするか。
そのまま立って東京まで行くか。
少し考えて、新神戸で一度降りることにした。
そして後続の「ひかり720号」の自由席へ。
無事に座れた。
このとき旅のメモに残したのが、
「立ちののぞみより、座りのひかり」
だった。
速い列車に乗ることより、座って移動できることを選んだ。
結果的には大正解だった。
新大阪から乗客が増え、京都では自由席も満席になった。
新神戸から乗っていなければ、かなり大変だったと思う。
「新神戸乗り換えで正解」
そう思えた。
4,470円の勉強代
ただし、東京への到着は遅くなる。
当初は東京から上越新幹線に乗り継いで、その日のうちに三条へ帰る予定だった。
でも、もう無理をする時間ではなかった。
南浦和に住む兄に連絡し、泊めてもらうことにした。
予約していた上越新幹線の特急料金は4,470円。
無駄になった。
でも、
「勉強代」
と考えることにした。
旅程を崩さないことに固執して、さらに疲れるよりはいい。
旅のメモにはもう一つ、
「思い通りにいかない。これもまた旅。」
と残した。
あとから振り返ると、この言葉が今回の旅を一番よく表している気がする。
聞き慣れたチャイム
翌朝。
南浦和から大宮へ出て、上越新幹線「とき307号」に乗った。
発車してまもなく、聞き慣れたチャイムが流れた。
「聞き慣れた上越新幹線のチャイム」
たったそれだけなのに、
「ああ、戻ってきたな」
と思った。
中国地方を走り、山陰を抜け、東海道新幹線で東京まで戻ってきた。
そして、いつもの上越新幹線に乗っている。
トンネルを抜け、越後平野へ出る。
長岡が近づく。
燕三条で降りた。
外の空気が少しひんやりしていた。
「秋の爽やかな空気。新潟の空気。」
遠くへ行ったあとだからこそ、普段は意識しない地元の空気が分かる。

弥彦線で北三条へ戻り、自宅へ。
4日間の旅が終わった。

乗りつぶした先に残るもの
今回の旅では、新幹線全路線完乗を達成した。
岩徳線も完乗した。
芸備線も完乗した。
未乗だった区間もかなり減った。
乗りつぶし旅として見れば、大きな成果だったと思う。
でも、あとから思い出すのは、たぶん路線名だけではない。
誰も降りなかった藤井駅。
姫路城の複雑な通路。
山陰を走る気動車の音。
備後落合で鉄道を支える人たち。
岡山で予定が崩れた瞬間。
新神戸で座席を確保できたときの安心感。
そして最後に聞いた、上越新幹線のチャイム。
乗りつぶしという趣味は、路線図の空白を埋めていく遊びでもある。
でも、実際に列車に乗れば、その一本一本の線には景色があり、人がいて、そのとき自分が考えたことがある。
だから、線を塗りつぶしただけでは終わらない。
むしろ、その先に残ったものの方が面白い。
今回の4日間は、そんなことを改めて感じた旅だった。
乗り換えに余裕があると、途中下車してその駅からの最短きっぷや入場券を買うことがある。お土産というほど大げさではないけれど、自分にとっては旅の戦利品であり、確かな記録でもある。

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