夜行列車に乗るために、飛行機で九州へ向かった。
少し不思議な旅の始まりである。速く移動するために空を飛び、その日の夜は、博多から宮崎まで一晩かけて列車で走る。
目的地へ早く着くことだけを考えれば、ずいぶん遠回りだ。しかし、この旅で体験したかったのは到着ではない。鉄道で夜を越す、その時間そのものだった。

夜行列車を待つための「準備運動」
2025年1月24日。京成上野駅からスカイライナー52号で成田空港へ向かい、Peach MM527便で福岡に入った。
この日の主役は、博多を22時24分に発車する団体臨時列車「ドリームにちりん」である。受付までには、まだ少し時間があった。
博多駅でじっと待っている気にはなれなかった。福岡市地下鉄に乗る口実も兼ねて、福岡城跡へ向かった。
1月の夜の城跡は暗く、石垣や階段が照明の中に浮かび上がっていた。観光というより、これから始まる夜に身体を慣らすために歩いていたように思う。
楽しみにしていた列車に、もうすぐ乗れる。福岡城跡を歩いた時間は、いわばドリームにちりん乗車前の準備運動だった。

博多駅に現れた783系
夜の博多駅へ戻る。

ツアーの集合時刻は21時30分。参加証には「4号車5D」と書かれていた。発車標にも、22時24分発の「団体」が表示されている。

やがてホームで対面したのは、783系CM2編成だった。
783系は1988年3月13日にデビューした、JR九州初期を代表する特急形電車である。流線形の先頭部や、車体中央に設けられた乗降扉、半室ずつに分かれた客室など、登場時には斬新な設計で注目を集めた。写真や模型で姿を知っていても、実車を目の前にしたときの感覚は別だった。見慣れたはずの形なのに、九州まで来なければ出会えない車両が、今夜は宮崎まで自分を運んでくれる。
そのことが、ただうれしかった。

博多から宮崎へ、夜の鉄路をたどる
22時24分、列車は博多駅を発車した。
「ドリームにちりん」は1992年に登場し、博多と宮崎を夜通し結んでいた列車である。2011年3月のダイヤ改正で定期運行を終えた。今回の列車は定期列車の復活ではなく、783系を使用した団体臨時列車として運転された。JR九州の案内では、博多から宮崎への運行は約3年ぶりだった。
博多から小倉へ進み、日豊本線を南下して大分、延岡、宮崎へ向かう。この経路は、博多と宮崎空港を結ぶ長距離特急「にちりんシーガイア」がたどってきた鉄路とも重なる。
長い在来線特急の歴史が積み重なった線路を、今度は夜行列車で、自分の身体を運びながらたどっていく。
これを体験したくて、飛行機に乗って九州まで来た。
眠りきれない座席の夜
小倉を出て、日付が変わった頃に行橋へ着いた。
ホームへ降りると、駅名標の向こうに783系が止まっている。列車の行先表示は次々に切り替わり、つい何枚も写真を撮っていた。
車内へ戻れば、眠る時間である。
翌朝、宮崎に着いてからも長い一日が待っている。本当なら、少しでも眠っておいた方がよい。それでも、なかなか深く眠る気にはなれなかった。
完全には暗くならない車内で目を閉じる。静かな車内に、線路の継ぎ目を越える音が間断なく続く。列車が駅へ止まる衝撃で少し目を覚まし、窓の外に駅名標を探す。
どこまで来ただろう。
町の灯りが増えたかと思えば、また闇が続く。その闇の中に駅の照明が現れ、しばらくすると後ろへ流れていく。
初めて乗る日豊本線の夜景なのに、どこか懐かしかった。
座席夜行に乗るのは、ムーンライトえちご以来だった。写真で乗車を確認できる範囲では、2007年以来、およそ18年ぶりになる。中高生の頃には友人と東京へ遊びに行く列車であり、大学生の頃には安く帰省するための列車だった。眠りきれない座席、高崎駅での深夜の停車、上越国境へ近づくにつれて下がっていく車内の温度。そんな夜の記憶が、九州を走る列車の中で戻ってきた。
寝なければいけない。でも、眠ってしまうのがもったいない。
眠りに落ちれば、その分だけこの列車に乗っている時間が短くなってしまうような気がした。

大分駅、午前2時
大分駅には1時30分に到着し、3時25分まで停車した。
大分駅への到着前、車内放送でコンコースでの臨時販売が案内された。午前1時30分を過ぎた駅の連絡通路では、ファミリーマートの店員さんが長机を並べ、飲み物や軽食を販売していた。ファミチキの保温器まで持ち込まれ、深夜とは思えない行列ができている。私もここで、この先の夜食を買い込んだ。
列車一本のために、真夜中の駅で売り場を準備してくれたことがありがたかった。行列に並ぶ乗客たちも、きっと同じような気持ちだったのだと思う。
午前2時のホームに降り、低い位置から783系を見上げる。昼間の駅とは違い、人の気配は少ない。列車は走ることをいったんやめ、夜の中に長い車体を横たえていた。

発車標には「DREAM NICHIRIN 3:25」と表示されている。車体には「団体専用」の文字が光っていた。

この長い停車時間にも、ムーンライトえちごの記憶が重なった。高崎駅で夜のホームへ降り、まだ目的地ではない場所で時間を過ごす。夜行列車の長時間停車は、単なる運転上の都合ではなく、乗客にとっては旅の途中にできる小さな夜の居場所だった。
列車は止まっている。それでも旅の時間は進んでいる。
延岡、そして夜明け
大分を発車したあとは、再び座席で微睡んだ。
午前5時19分、延岡駅の駅名標を撮っている。夜はまだ残っているが、宮崎まではもう遠くない。
到着してほしいはずなのに、まだ着かないでほしいとも思う。
そんな矛盾した気持ちは、旅の終わりが近づいたときによく現れる。しかし今回は、旅全体が終わるわけではない。宮崎に着けば、すぐに特急きりしま3号へ乗り継ぎ、鹿児島、博多、唐津、佐世保、長崎へ向かう長い一日が始まる。
終わるのは、この夜だけだった。

宮崎の朝
6時41分、ドリームにちりんは宮崎駅に到着した。
ホームへ降りると、空はもう明るくなり始めていた。朝の光の下に見る783系は、博多駅で対面したときとは少し違って見えた。
約8時間の夜行乗車が終わった。
当時のXには、宮崎到着を前にした感想として、間断なく続くジョイント音が懐かしかったこと、また機会があれば乗りたいことを残している。
よく眠れた夜ではなかった。
けれど、眠るためだけの夜でもなかった。
町の灯りが途切れ、暗い駅に止まり、また走り出す。その繰り返しの中で、かつて座席夜行に乗った頃の記憶をたどりながら、初めての日豊本線を南へ進んだ。
眠ってしまうのがもったいないと思える夜だった。


この旅は後編へ続きます。
宮崎から先は、特急きりしま3号に乗り継ぎ、鹿児島、博多、唐津、佐世保、長崎へ。九州を巡る長い一日が始まります。

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